我が家では昔から餅をつく。50年以上を経て現在は2代目の臼になっている。
いつごろからかは定かではないが今でも伝統を守っている。
実家では正月も間近に迫ったころ近所の人が集まり、朝早くから家中に蒸したもち米のにおいを充満させドスン、ドスンと音を響かせていた。
つき手はその家の主で、合いの手は奥さん、つきあがった餅は女集が手早くお供え用に丸め、残りはのし餅にする。お神酒も入り夕方までにぎやかな一大イベントであった。
中学になる頃には半人前とはいえ、つき手に抜擢された。調子に乗ってやったのだが見ているほど楽ではなかった。力不足のためこねる作業がつらく、一臼つき終わる頃にはへとへとになっていた。でも、青年期は連続6臼という記録もある。
合いの手も見て育ったせいかそれなりにできるので、町内会の行事ではけっこう貴重な存在である。
白、紅、豆、草もちと順につく。草もちの草は春先のやわらかいヨモギを摘み、ゆがいて乾燥し正月まで保存しておいたものを水で戻し臼に入れ塩を加えて杵で繊維を細かくたたき、餅とついて出来上がり。それらの多くは餡餅にする。
ヨモギの風味が効いて、繊維が歯ざわり良く祖父の大好物であった。
祖父は完璧な甘党で、よく羊羹や饅頭を食べていた。山歩きの際の昼食は、連れは焼酎を飲み祖父は羊羹を食べるといったふうだったらしい。
そういえば、ビールに砂糖を入れて飲んでいるのを見たことがある。気持ちはわかるが、さすがにもったいので試したことはない。
祖父や祖母が四国の出身なので元旦は雑煮は味噌仕立てで紅白の丸餅を入れ具まで丸くする。すべて丸く収まるようにと、ちょっとした験を担いだものだ。翌日はどういうわけか醤油味に変わるのだが、なぜだろう。
北海道民はほとんどが内地からの移民なので、雑煮は多種多様だ。丸餅、四角い餅、あぶった餅、具の多少、全国的には味噌味は関西の一部で少数派らしい。
丸餅は西、切り餅は東の傾向、焼餅は東、煮餅は西に多い。
なかにはあん餅の雑煮もある。祖父が食べたら大喜びだったかもしれない。
お目にかかったことはないが、どういう理由なのだろう。甘い汁を吸おうということでもあるまい。