北方四島ビザなし交流で5月27日から30日まで択捉島を訪問してきました。
島内では、紗那−別飛までの道のりが舗装され、商店が軒を連ねていました。
また、2015年にオープンした「スポーツ文化会館」は体育館、プール、トレーニングルームに加えて博物館、図書館が併設されている複合施設になっていました。
来年には110人が入れる保育所、学校などの建設が予定されており、ロシア人の島内人口の増加、定住化を促進するための政策が国レベルで着々と進んでいることを実感しました。
「ビザなし交流」で択捉島に訪問した際、車での移動中、内岡(ナヨカ)湾沿岸の段丘上に帯・の溝が掘られていることに気が付きました。
最初はアイヌのチャシかと思いましたが、構造が異なっていることから、日本軍が構築した塹壕だと気づきました。辺りにはトーチカのような構造物も残されており、ものものしい雰囲気を漂わせていました。
太平洋戦争の発端となるハワイ真珠湾攻撃に向けて出港したのも択捉島であり、先の大戦との関わりを再認識させられました。
昭和20年にアメリカの戦艦「ミズーリ」の甲板で、日本と連合国側との間で降伏文書が調印されてから9月2日で71年目を迎えました。
「ビザなし交流」のホームビジットにて別飛(ベットブ)診療所で歯科医をされているお宅に訪問し、美味しい手料理をいただきました。
その際、「学芸員をしているのなら、ぜひ見て欲しいものがあります」と家の近くにある石像へ案内してくれました。
石像の頭部は剥離していましたが、形態から馬頭観音像のようで、裏面には「昭和拾六年建立」と記されていました。
また、お子さんからは近くで拾ったという駄知産の三平皿を見せてくれました。
開発は徐々に進んでいますが、かつて日本人が住んでいた証が確かに存在しているのだと実感しました。