太平洋戦争末期の昭和20年。旭川第7師団から編成された「熊9207部隊」が、標津の浜からアメリカ軍が上陸してくることを想定して緊急配備されました。 部隊は、戦闘に備えて坑道陣地や塹壕、防空壕などを構築しており、場合によっては、中標津原野でも沖縄のような地上戦が繰り広げられていた可能性がありました。 なお、軍部は北海道の本土決戦について「計根別平地」もしくは「苫小牧平地」を主戦場として想定していました。
参考文献:俣落開基・開校記念事業協賛会(1993)『またおち川』
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