昭和16年から始まった太平洋戦争は、昭和18年頃には「ミッドウェー海戦の大敗」と「ガダナルカナル島の奪取」等によりアメリカ軍の北上進撃は激化を極め、本土空襲の危機が高まっていきました。
その状況は、北海道も例外ではなく、千島列島北方の最前線基地として中標津に第一標津海軍航空基地(現:中標津空港)が計画され、昭和19年に滑走路が完成しました。しかし、一度も航空機の配置はないまま昭和20年8月15日の終戦を迎えました。
現在は、旧滑走路の一部と格納庫の基礎、掩体壕などの戦争遺跡が林の中にひっそりと現存しています。