Nakashibetsu Municipal folk Museum

中標津町郷土館のwebpageに属するアーカイブです。
2005年11月号

開陽台(幻となった文化人村)

開陽台の三角点(標高310.94m)には溶岩の噴出源の痕があります。

ここから噴出した溶岩は一ケ所に盛り上がらず、ほぼ原野の南方向へ一直線に流れ、冷え固まり開陽台地となりました。

この開陽台はかつて「三角点」と呼ばれていました。昭和36年にNHKがテレビ中継局を設置する際には「武佐台」、「開陽台」と両方の名で呼ばれていた台地を、翌37年、当時の尾崎町長が「開陽台」と命名しました。その後、育成牧場、展望台が建設され新観光地として宣伝されるようになりました。

昭和41年、東京在住の釣りグループが来町した際、町長が「別荘を建てるなら土地を提供する」と言ったことから「文化人村構想」が生まれました。開陽台にある「こころの碑」の設置はここに遡ります。

広大なすばらしい開陽台の景色と、町の方々の厚意に感動したメンバーが乗り気になり、作家の渡辺喜恵子さんを村長として具体的に動き出しました。町でも受け入れの準備がされていましたが、色々な出来事が重なり残念ながらこの計画は胡散霧消となってしまいました。

さて、町景観審議会は開陽台周辺の1,426haを「景観形成重点区域」第1号に指定しました。北海道遺産に選ばれた格子状防風林が見渡せる開陽台、この地を多くの町民や観光客が訪れる"癒しの台地"としていきたいものです。

尾崎町長と渡辺喜恵子さん 文化人村 開陽台の看板

(中標津町文化財保護審議委員 松原 稔)


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