俣落岳の雪融け等の清水を集めて発生する俣落川は、俣落部落の中央を流れ、俣落地区の外れで終点となり標津川と合流するという、まさに「俣落」の象徴のような河川です。
もちろん地域の中心を流れ、地域の歴史とともに歩んできた川ですから、入植以来の地域住民の生活とも深く関わり、今日の発展に多大な貢献をしてきたであろうことは長老の義盛幸さんの「うちにある碁盤はバッコヤナギで、俣落川流域で伐採してきたものなんです。当時はバッコヤナギも結構あったようですね」(月刊新根室:昭和59年4月号より抜粋)、という発言や、急流を利用しての発電所、等々の事からうかがい知ることができます。
現在の俣落川と人々との関わりは大きく変化しているようですが、この川の価値を別な面から眺めてみますと、生来の「暴れ川」が幸いして、管内では中標津町以南の三町で、この俣落川流域にだけオオバヤナギという植物が自生しています(これが義盛さんの言われたバッコヤナギです)。 現在も人手の加わらない上流を中心に、幹まわり3mを越すものが数本と、かなりの成・幼木が残っています。
この他にも、北海道の西部に自生するツルヨシが、標津川との合流部近くの河原にあったり、1,000本を越すようなオオウバユリの大群落もあります。
このように太古の姿をとどめた宝物のようなすばらしい川が私たちに身近にあったのです。
(中標津町文化財保護審議委員 粟野武夫)